
玄関わきにのちに3畳の部屋ができるまでは、この居間(6畳)の窓際に写真のように机を置いて、勉強をしていたといいます。

縁側で心地よい日差しが差し込んでいました。

この三畳の小部屋は、正岡子規が松山中学校に入ってから増築してもらった勉強部屋ですが、天井もない粗末なものだったようです。

また、この部屋で作った文章には櫻亭仙人(十三歳)、老櫻漁夫(十四歳)、香雲散人(十五歳)、等とみな、櫻に因んだ雅號(がごう)を用いている。これらは庭の櫻(さくら)の老樹の影響といわれています。
「子規」という號(ごう)は明治廿二年、数え年廿三歳の時につけたものといいます。